霊気の本質(エッセンス)

Frans StieneArticles, Japanese Leave a Comment

執筆:フランス・スティーン

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霊気の本質(エッセンス) 3

日本にある臼井霊気療法学会で配布されている冊子『霊気療法のしおり』の中に、**「臼井先生の厳命と教訓」**という章があります。そこには、臼井甕男先生の教えを端的に象徴する、素晴らしい歌が紹介されています。

> **「雲はれてのちの光と思うなよ もとより空にありあけの月」**

この歌は、霊気の体系を非常にシンプルでありながら、深い次元で説明しています。そして冊子に記されている通り、これこそが臼井先生の「厳格な教訓」なのです。

まず、日本の伝統的な教えにおいて、「月」は私たちの本質、真我、**本来の性質**、仏性、エゴや思考を超えたリアリティ、そして「霊気であること」そのものを象徴しています。私たちの本質の光は、最初から輝き続けているのです。

私たちは、自分にエネルギーや光、あるいは霊気が足りないと思い込み、外から何かを「付け加えなければならない」と考えがちです。しかし、それこそが「迷い(煩悩)」であり、立ち込める「雲」であり、エゴのなせる業です。本質において、私たちのエネルギー、光、霊気は常に明るく輝いています。

太陽や月の光をさらに明るくしたり、逆にその光を奪い去ったりすることができないのと同様に、私たちの本質の光も増減させることはできません。

つまり臼井甕男先生は、霊気の体系全体が、私たちは月や太陽のように「すでに純粋であり、完全である」という気づきに基づいていることを説いているのです。霊気におけるすべての実践は、迷いの雲、混乱した思考、そしてエゴを手放すためのものです。この「手放し」の中にこそ、今のこの瞬間、今日という日における純粋な輝きがあることに気づかされます。

> **「その要は身心の調和を求むるにあり。静坐して修養する際、最も大切なのは自己を忘るるにあり。修養に当たりては一切の念を棄つべし。」**
> —— 冨田魁二 著『霊気と仁術』(1933年)より

私たちが「自己(エゴ)」という雲、すなわち混乱した思考を忘れるとき、私たちは自分自身が最初から「霊気」であったという事実に目覚め始めます。「霊気になった」瞬間など存在しません。私たちは常に霊気そのものだったのです。

> **「宇宙間の森羅万象(天地の万物)は、ことごとく霊気を保有している」**
> —— 臼井甕男(『公開伝授説明』より)

私たちは最初から、1000%宇宙そのものです。ですから、修行を通じて「宇宙エネルギーを自分に付け加える」ということはあり得ません。もしそうであれば、修行前は宇宙の45%だったのが、修行によって75%になり、修行を忘れると30%に戻る……ということになってしまいます。もちろん、そのようなことは不可能です。私たちは常に100%宇宙であり、これからもそうです。臼井先生が述べられた通り、宇宙のすべてが霊気を保有しているならば、何が起きようと起きまいと、私たちは常に100%の霊気なのです。

「霊気である」という状態、そして今日この瞬間、すでに自分が100%の霊気であると気づくこと。これこそが、この美しい歌に込められた臼井甕男先生の厳格な教訓です。

> **「宇宙即我」「我即宇宙」**
> —— 臼井甕男(福岡甲旨郎 編『霊気療法のしおり』より)

臼井先生のこの教えには、さらに多くの深い意味があります。それを本当に理解するためには、先生がその体系に組み込んだ瞑想の実践を積み重ねる必要があります。

霊気の「五戒」は「霊気であること」の光を描写したものであり、手当ては「自己」を忘れる修行であり、シンボルやマントラは、私たちがすでに輝かしい霊気であることへの指針です。

そして、**「発霊法(私たちの不可思議な霊能を現す方法)」**などの瞑想の実践は、月の光、すなわち私たちの内なる本質がすでに輝いていることを指し示しています。「霊授(アチューンメント)」は、霊気を与えるためのものではなく、私たちが今この瞬間、100%霊気であることを再認識するのを助けるためにあるのです。

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