レイキは神(かみ)であり、仏(ほとけ)である

Frans StieneArticles, Japanese Leave a Comment

**2025年5月15日公開**
**著者:フランス・スティーン**

Kami Reiki
レイキは神(かみ)であり、仏(ほとけ)である 3

「レイキとは神(かみ)であり、仏(ほとけ)である。ただ、この答えは、特に西洋の皆さんにとっては多くの誤解を招くかもしれない。私たちは言葉に執着しすぎるべきではない。それはしばしば、私たちの歩みを妨げる石となるからだ」
―― **武田博哉阿闍梨**

臼井霊気療法学会で配布されている『心身改善臼井霊気療法公開伝授説明』および『臼井霊気療法必携』という二つの冊子の中に、臼井甕男先生へのインタビューが掲載されています。その中のある質問に対する先生の回答は、臼井先生の「奥伝(内なる教え)」を知るための極めて重要な指針となっています。

> **【原典引用:公開伝授説明】**
> **問:** 臼井霊気療法はただ病気のみを治すものなるや。
>
> **答:** 否、単に肉体の病を治すのみならず、煩悶、衰弱、臆病、不決断、神経質等の精神偏癖を矯正し、常に**神仏の心**を以て人生を楽しみ、己を治し他を救うことを主旨とするものである。

したがって、臼井先生の教えの主たる目的は、私たちが神であり、仏であり、言い換えれば「私たちはレイキそのもの」であると自覚することにあります。

「古代日本の神道は、宇宙を単なる物質的な存在としてではなく、万物の中に高貴な力を見出し、それを『神』と呼んだ。換言すれば、日本人は伝統的に、万物の中に神、あるいは生命、聖なる霊(ディバイン・スピリット)の存在を感じてきたのである。そして私たちの心の中では、仏と神は一つの同じものなのである」
―― **武田博哉阿闍梨**

私たちが「自分は神であり、仏であり、レイキである」と悟ったとき、そこにはもはや「流す(チャネリングする)」べきものなど存在しません。自分自身をどうやって流すというのでしょうか? そのとき、私たちは心から太陽が光を放射するように、四方八方へとレイキを放つ存在となります。太陽は、何事も「導管(パイプ)」として流してなどいないのです。

> **【原典引用:山蔭基央『神道の真髄』】**
> 「人間はすべて神になる可能性をもっている」

臼井先生は、第一のシンボルとマントラ(呪文)を通じても「神」を指し示されました。そのシンボル自体は「神へと向かう」こと、すなわち「自らの内なる神聖さを思い出すこと」を意味しています。マントラは「直霊(ちょくれい)」を意味し、それは神へと繋がるものです。私たちは今、直ちに、自分が神であり、神聖なる自己(ディバイン・セルフ)であることを悟らねばなりません。

> **【原典引用:五井昌久『神と人間 ― 精神的な平和と覚醒への道しるべ』】**
> 「直霊(ちょくれい)という言葉。直(ちょく)は『直接の』、霊(れい)は『霊魂』を意味する。直霊とは、神から直接発せられた、人類の起源を形成するために神から直接発せられた光である。直霊は『人間界における神』『神の直系の霊』あるいは『神聖なる自己』ともいえる」

このように、臼井先生は配布された冊子の中だけでなく、シンボルやマントラを通じても、その教えの主旨を指し示しておられました。臼井先生はこれらのマントラやシンボルを、神道や天台仏教といった既存の日本の精神的教えから取り入れたものであり、それらは臼井先生の教えだけに固有のものではありません。前述の五井昌久氏のような指導者もまた、「直霊」の概念を用いていました。

> **【原典引用:五井昌久『青空のように生きる』】**
> 「そこで私は、自分自身の神聖なる霊(直霊)に出会ったのである」

これらのシンボルやマントラを内面化すればするほど、私たちは自分が神であり、仏であり、レイキであることを再発見していくのです。

> **【原典引用:山蔭基央『神道の真髄』】**
> 「神道とは、神の崇高な属性を身につけることによって、人間としての自己を完成させようとする道である」

神道や仏教で語られる「崇高な属性」とは何でしょうか? それは、怒りや心配から解放された心の状態であり、感謝に満ち、自らの道と存在に誠実であり、自分自身や他者に対して慈しみ(慈悲)を持つ心の在り方です。言い換えれば、その主たる目的は「レイキの五戒」を体現することにあります。

「レイキの五戒は、ある意味で法華経と同じである。五戒と法華経の真髄とは何か? あなたは何者か? それは、自分が仏であるという自己覚醒である」
―― **武田博哉阿闍梨**

臼井先生の教えを深く見れば、私たちの神聖なる自己、私たちがレイキであること、それから、私たちが神・仏であることを悟らねばならないという、これらすべての指針が見えてきます。

「本者是正念(ほんしゃぜしょうねん)は、天台本覚思想(てんだいほんがくしそう)――すなわち、私たちはすでに仏であるという悟りの本来の状態――と密接な関係がある」
―― **武田博哉阿闍梨**

ここでも、レイキのシステムの中で教えられる別のシンボルやマントラが、仏性(ぶっしょう)を指し示していることがわかります。

> **【原典引用:土居裕『現代霊気法テキスト』】**
> 「臼井先生には決まったカリキュラムはなく、修行の期間は各門弟の精神的な進歩の度合いによって異なっていた。先生は自らの体験に基づき、主に精神的向上のために必要な『正しい心の持ち方』について、個別に対面で講義を行っていたと言われている」

土居裕氏が述べている「正しい心の持ち方」とは、まさに神・仏の心のことです。

臼井先生の教えにおけるもう一つの重要な実践である「浄心呼吸法(じょうしんこきゅうほう)」を見てみましょう。「浄(じょう)」は純粋であること、汚れがないことを意味します。「心(しん)」は心(マインド)を、「呼吸(こきゅう)」は息を吸って吐くことを、それから「法(ほう)」は方法を意味します。したがって、浄心呼吸法とは、呼吸を通じて自らの清浄な心を悟るための方法です。この瞑想を実践することで、私たちは自分の心が神や仏のように清らかであること、そして私たちがレイキであることを、ゆっくりと自覚し始めるのです。この清浄な心こそが、まさにレイキの五戒そのものであり、怒りや心配のない心、感謝に満ち、誠実で、慈悲深い心なのです。

事実、臼井先生の教えと実践のすべては、神、仏、レイキであること、すなわち五戒の体現という同じ本質を、繰り返し指し示しています。

> **【原典引用:『霊気療法の栞』(臼井霊気療法学会)】**
> 「本会会員は常に、自己の徳が高まれば高まるほど、それだけ霊能(精神的なエネルギー)が強くなるということを、肝に銘じておいてください」

だからこそ、臼井先生の「内なる教え(奥伝)」に目を向けることが極めて重要なのです。それなしでは、レイキを単なる手当て療法や、少しリラックスするのを助けるだけの初歩的な練習だと思い込んでしまいます。しかし実際には、それは私たちが神であり、仏であり、レイキであることを悟るための、完全な体系なのです。

> **【原典引用:『霊気療法の栞』(臼井霊気療法学会)】**
> 「臼井先生の厳格な教訓:小宇宙たる汝の霊は常に全宇宙の霊気と一如ならざればならぬ」

これらすべての古(いにしえ)の教えは、真我、すなわち神聖なる自己、神、仏、あるいは私たちが何と呼ぼうとも、その本来の姿を思い出すための実践として、徳や道徳について語っているのです。私たちが本来の自己に立ち返ったときに到達する、自己と宇宙、あるいは自と他に隔てのない**「不二(ふに)」**の境地、そして**安心立命(あんじんりゅうみょう)**こそが、レイキの真髄なのです。

> **【原典引用:黄元吉・葛国龍『道教の内丹術』】**
> 「人の道徳的発達が極めて高いレベルに達したとき、その人は天地と繋がり、それによって並外れて豊かなエネルギーの形態へとアクセスできるようになる。この道徳的修養の境地に達した人は、自らの真の性質(真性)を垣間見ることになるだろう」

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